アルバイト選びにおいて最も大切な唯一つのこと
その職場は家から近かった。
徒歩で8分、チャリなら3分。ただそれだけの理由だった。
大学三年の2月。
私は某大手アパレルメーカーの、郊外に建てられた中型支店でアルバイトとして働き始めた。割と誰でも知ってる、例の、服屋。
そして約2年間そこでお世話になり、今年の3月下旬、つまり先週だ。学校の卒業を待たずしてその職場を、退職した。
今回は題名にもある通り、アルバイトの話をしようと思う。
断っておくが、これは有益な経験談や、全員に共通して価値のある教訓の類では決してない。だが備忘録として、ここで学んだ事や退職を決断した理由等を、私の2年間の思い出と共に書き残しておこうと思う。
誰かの、例えばこれからアルバイトを始めようという人の、ささやかな後押しにでもなれば幸いだ。
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その職場は率直に言って居心地が良かった。
パワハラ気質の上司が悪政を働いていたとか、サービス残業の続く怠慢な業務体系に嫌気が指したとか、アルバイトの範疇を超えた鬼の重労働を強要されるとか、そんなネガティブな理由で辞めた訳ではない。
上司は私に本当に優しく接してくれたし、サービス残業は一切無いし、家から近かったし、業務だって大して難しいことは無い。
レジ打ち、品出し、商品整理。モップをかけたり、入り口のガラスを拭いたり、トイレを掃除したり。誰にでもできる、簡単な仕事ばかりだった。
それでも学んだことは、沢山あった。
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私は仕事が出来なかった。
それはもう恐ろしく出来なかった。
レジに入ればノロノロと商品をスキャンし、瞬く間に長蛇の列を形成する。陰で「蛇使い」とイジられていた可能性まである。
お客様にこの商品は何処か?と問われれば、「あ~何処でしょうね~?笑」と言って一緒に大捜査が始まる。大抵の場合、お客様の方が先に見つける。
この商品を15分で売り場に出せと言われれば、当然のように30分くらいはかかる。しかも、出す場所を間違えてたりする。たまに、出す商品自体を間違えてたりもする。
トイレ掃除を15分でやれと言われれば、大体5分くらいで適当に済ませて、残りの10分は自分がトイレをしている。
スタッフは売り場に出ると、商品の宣伝を、それは詳しく、どこがどうお買い得で素敵なのかをお客様に呼び込むが、私はそれを「いらっしゃいませ」と「どうぞご覧下さいませ」という2つの初級呪文のみで回避してきた。あとは、死んだ顔で間違った商品を品出ししている。
書いてて悲しくなってきたのでこの辺りにするが、私の仕事の出来なさときたら凄かった。間違いなくこの店舗のエース。これ程向いてない仕事があるのだなあ、と感心したくらいだ。
しかし、それでも2年間。
このバイトを続けてこれたのは、渡部(ワタナベ)という後輩の存在があったからかもしれない。
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渡部は仕事が出来た。
それはもう恐ろしく出来た。
私が入社して約3ヶ月後、彼は流星の如く現れた。高身長で韓流アイドルのような顔立ち。瞬く間にありとあらゆる仕事を習得し、上司達の人気をたちまちかっさらっていった。
レジに入ればテキパキと列をさばき、商品の場所もしっかりと把握している。15分でやれと言われた仕事は10分でこなし、出す場所や出す商品を間違えたりしないし、多分トイレ掃除中にトイレはしてない。
私の方が先輩なので初めのうちは「ここはこうやるんだぞ」と教えていたが、そのうち「ここはこうやるんだぞ」と教えたら、「森さん違いますよ、ここはこうです」と逆に教えられた。
「そういう見方もあるな」と言ってブルブルと震えた。
控えめに言って渡部は栄華を極めており、私は困窮を極めていた。本来であれば、その明らかな格差を憎み速やかに絶交するだろう。
しかし、あの出来事を境に、我々は一気に打ち解けた。
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先日バイトの後輩男子と彼女を作るための作戦会議を真剣に開いたんですが、結論、店がめちゃめちゃ忙しい時に店長の指示を全て無視し、おもむろに掃除機をかけ始めたり窓を拭いたりするなどのサイコパス行動を取りまくってバイトをクビになるの、楽しそうだよな〜という話をして終わった。彼女は?
— もりけん (@1isi_2tori) 2018年4月2日
渡部はサイコパスだった。
休憩中、彼女欲しいよね~、という何気ない会話をしていた所に、彼は隕石の如く突然、恐ろしい発言を投下してきた。
「店がめちゃめちゃ忙しい時に店長の指示を全て無視し、おもむろに掃除機をかけ始めたり窓を拭いたりするなどのサイコパス行動を取りまくってバイトをクビになるの、楽しそうだよな~」
いや、絶対楽しくねえわ。
やべえわ、コイツ。店が忙しいときに、店長の指示をガン無視!?掃除機!?窓拭き!?何言ってるの。完全にイッてるよ。おめでとう、君がキングオブサイコパス。
私はそう感じ、一気に彼との距離が、縮まった。
そう。私は、変なやつが好きなのだ。
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私もサイコパスだった。
店がめちゃめちゃ忙しい時に店長の指示を全て無視し、おもむろに掃除機をかけ始めたり窓を拭いたりするなどのサイコパス行動を取りまくってバイトをクビになる。このインポッシブルなミッションの遂行に向け、我々は一丸となり、慎重に話し合いの場を設けた。
森:掃除機をかけるというのはいくらなんでも常軌を逸脱しているのではないか? 入り口ガラスを拭く程度にとどめた方が穏便だろう。
渡部:騒音の観点から見てもそうですね。入り口ガラスを黙々と二人で拭いているくらいの方が狂気があっていいと思います。
森:それと繁忙期に実行するというのはいくらなんでも無謀なのではないか?
渡部:いえ、そこは譲れません。繁忙期にやるからこそ意味のある行為です。暇なときにガラスを拭いているのは、ただの綺麗好きです。
森:ふむ。一理ある。
では雑巾を両手に持って拭くというのはどうかな?
渡部:素晴らしいです。二刀流ですね。
では計画はこうです。まず、森さんがインカム(スタッフが持ってる連絡用の無線)で「メンズ側の入口汚いので入口ガラスはいってもよろしいでしょうか?」って言って下さい。
森:分かった。
渡部:そしたら、僕も「ウィメンズ側も汚いので一緒にやっていいでしょうか?」と言います。
森:ふむ、それで?
渡部:それだけです。
森:隙が全く見当たらないな。
こうしてブラッシュアップを繰り返し、我々の計画は「店がめちゃめちゃ忙しいときに、おもむろに入り口ガラスを二刀流で拭く」というものに明確化されていった。
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入り口ガラスは神格化された。
我々は「いつの日か繁忙期に入り口ガラスを拭きたい」という強い願望を募らせていき、次第にその想いは愛情となり、尊敬となり、崇拝にまで深まっていった。
入り口ガラスは素晴らしい。
入り口ガラスはかわいい。
入り口ガラスこそが全て。
入り口ガラスは全知全能の、神。
いつしか入り口ガラス清掃は、この大手アパレルメーカーの店舗業務のピラミッドにおける頂点に君臨していた。
お客様<<<<<入り口ガラスという圧倒的な不等式を見て我々は頷き合い、勝利を確信して固く握手を交わした。まさに気持ちが一つとなり計画が最終段階へと移行する。その時だった。
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別れは突然だった。
渡部が、今日で店を離れる。
まさに夕立の如く、大きな雨を降らせた彼は嘘のように去っていった。
本当に急だった。
今日って。
今日が、最終出勤だと通告された私は、もう為す術など無いじゃないか。なんでもっと早く言ってくれなかったんだ……渡部……!!
明日から仙台の○○店……。
駅前にある、同じ会社の超大型店舗だ。異動になったらしい。え、バイトに異動とかいう概念あんの? お前、バイトだよね? すごくない? おめでとう。普通に。
こうして我々の野望は潰えた
……かのように思われた。
*
渡部は諦めていなかった。
なんと言うことでしょう、入り口ガラスの存在しない○○店に。入り口ガラスを建設し、その上で拭くというのだ。しかも、建設中は、エアーで拭く、だと!?
渡部。お前はやっぱすげえよ。すげえやつだよ。お前こそが、真のキングオブサイコパスだよ。
私は「渡部」という生き様を心から尊敬し、また、私たちの計画の不死鳥性を非常に誇りに感じていた。
後悔は、不思議と無かった。
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渡部は最後に手紙を置いていった。
『入り口ガラスを一緒にやる夢がついえてしまい、残念に思います。またどこかで出会えた時、一緒にできることを祈っています。渡部』
ふ。夢がまだついえていないことは、お前が一番よく分かっているんじゃないか? 渡部。
そうだよ。場所なんて、関係ない。また出会った時に、その場所にあるガラスを拭けばいい。コンビニで会ったらコンビニのガラスを。居酒屋で会ったら居酒屋のガラスを。仙台駅で会ったら、シンボルのステンドグラスを。ガラスが無ければ、エアーで。二刀流で。一緒に拭けばいいさ。
それと、こちらからも一つ言わせてほしい。
「休憩中、いつも一緒に下らない話をしてくれて、ありがとう。今まで本当に楽しかった。」
と。
また会おう、渡部。
*
さて。
上述ように私はアルバイトの休憩中死ぬほど下らない話をして楽しんでいた訳ですが、私がバイトを辞めた理由に上述のお話しはもちろん一切関係がありません。
その真の理由は、
家を引っ越して店舗からちょっと遠くなって、通勤が普通に面倒。
という、ただそれだけ。
そう、アルバイト選びにおいて最も大切なのは、時給でも職場環境でも陰謀を企てる友人でもなく、距離。近ければ近いほど、よい。あとは適当に友情が芽生え、為るように、為る。
それではこれからアルバイトを始める新入生の皆様、ご健闘をお祈り申し上げます。